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世界遺産のアーヘン大聖堂|さらっと楽しく分かる歴史と見どころ

ドイツ最西端の街アーヘン。その旧市街の中心に建つのが、北部ヨーロッパ最古の大聖堂であり、世界遺産の「アーヘン大聖堂」です。

1200年以上前にカール大帝が建てた宮廷礼拝堂を始まりとし、約600年間、王の戴冠式が行われ、巡礼や増改築など、長い歴史を重ねて現在の姿になりました。

アーヘン大聖堂の歴史と見どころを、誰でもさらっと楽しく理解できるようにまとめました。

アーヘン大聖堂とは?

アーヘン大聖堂

ドイツ初の世界遺産

1978年、世界で最初に登録された12の世界遺産のひとつであり、ドイツでは第1号となりました。

評価されたのは、その卓越した芸術性や建築技術だけではありません。カール大帝がこの地に埋葬され、その後、約600年にわたって30人もの王の戴冠式が行われたことなど、その歴史的な重要性も高く評価されました。

なかでも、八角形(オクタゴン)を中心とした独特の建築や、ビザンティン様式と西ヨーロッパの建築技術を融合させたデザインは、アーヘン大聖堂の大きな特徴です。

そして、大聖堂だけでなく、その周りに広がるアーヘンの街にも1200年以上の歴史が残っています。

「そもそもアーヘンってどんな街?」という方は、こちらの記事もぜひご覧ください。

カール大帝とアーヘン大聖堂

アーヘン大聖堂の歴史は、今から1200年以上前に遡ります。

大聖堂を建てたのは、ヨーロッパの歴史に大きな影響を与えたカール大帝(フランス名はシャルルマーニュ)。

当時、広大なフランク王国を治めていたカール大帝は、温泉が湧き出るアーヘンをとても気に入っていました。そして、「ここを政治と文化の中心にしよう」と、794年、アーヘンに壮大な宮殿の建設を始めます。

造られたのは、王宮だけではありません。学校、図書館、浴堂(温泉施設)、軍事施設、そして、宮廷礼拝堂。さらにローマやラヴェンナから建築資材や美術品まで運び込み、当時のアーヘンに壮大な宮殿を造り上げていきました。

その宮廷礼拝堂こそが、現在のアーヘン大聖堂の始まりです。

1200年以上前にカール大帝が造った建物を、今も実際に見ることができるんですね。浪漫です。

当時の宮殿がどのような姿だったのかは、こちらの動画をみると分かりやすいです。

また、宮殿を再現した「宮殿のアニメーション」も面白いです。

カール大帝については、こちらで詳しく説明しています。

宮廷礼拝堂(パラティーノ礼拝堂)

カール大帝が建てた宮廷礼拝堂は、単なる祈りの場所ではありませんでした。

信仰心の厚かったカール大帝にとって、ここはキリスト教文化を広める宗教的な拠点であると同時に、自らの権威を示す重要な場所でもありました。

そして、この宮廷礼拝堂の中心部分は、1200年以上経った今も残っています。

八角形(オクタゴン)の礼拝堂

大聖堂の中央にある八角形の空間「オクタゴン」、これが、カール大帝の時代に造られた宮廷礼拝堂の中心部分です。

当時の最高建築技術と芸術が詰め込まれ、現在のアーヘン大聖堂の原型となった場所です。

アーヘン大聖堂は1200年以上にわたって増築を重ねてきた「継ぎ足し大聖堂」です。その一番最初に造られた部分が、このオクタゴンなのです。

八角形という形には理由があって、キリスト教において「8」は「復活と永遠の命」を象徴する数字とされ、その意味が建築そのものに込められているのです。

カール大帝の王座

オクタゴンをぐるりと囲む上階の回廊には、カール大帝の王座があります。

驚くほどシンプルな石造りの王座ですが、置かれているのは礼拝堂全体を見渡せる特別な場所で、皇帝の権威を象徴する場所でもありました。

ここにカール大帝が座り、礼拝堂を見渡していたのでしょうか。そんな光景を想像すると、1200年前の世界が少し身近に感じられます。

その後、アーヘンでは約600年にわたって王の戴冠式が行われ、歴代の王たちもこの王座に座っています。

モデルは東ローマ帝国!?

カール大帝が参考にしたのは、北イタリア・ラヴェンナの「サン・ヴィターレ聖堂」なのですが、この聖堂、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の建築や芸術の影響を強く受けているのですね。

つまり、ルーツをたどると、アーヘン大聖堂にもビザンツ帝国の建築文化がつながっているのです。

カール大帝は、ローマやラヴェンナから建築資材や美術品をアーヘンへ運び込み、当時の優れた建築や芸術を取り入れて、この宮廷礼拝堂を造り上げました。

王宮と礼拝堂はつながっていた

面白いのが、礼拝堂の場所です。

宮廷礼拝堂は王宮と直接つながるように造られていました。

王宮から廊下を渡っていくと、その先には礼拝堂。つまり、「祈る場所」と「政治を行う場所」がひと続きになっていたのです。

カール大帝はとても信仰心の強い人物だったので、政治と信仰はどちらも大切で、切り離すことのできないものだったのですね。

王宮と宮殿の位置関係(イメージ)

約600年続いた皇帝の戴冠式

814年、カール大帝は亡くなり、宮廷礼拝堂に埋葬されました。その後、アーヘンは王宮としての重要性を失っていきます。ところが、約120年後の936年、オットー1世が、王の戴冠の場所としてアーヘンを選びます。

なぜアーヘンだったのでしょう?

そこには、ヨーロッパに大帝国を築いたカール大帝のお墓と、彼が残した宮廷礼拝堂があったからです。

カール大帝ゆかりの場所で王になることには、大きな意味があったのですね。

936年から1531年までの約600年間にわたり、30人の王と12人の王妃の戴冠式が行われました。この歴史から、アーヘン大聖堂は「皇帝の大聖堂(Kaiserdom)」とも呼ばれています。

そして、戴冠式の後には盛大な祝宴が開かれました。その会場となったのが、王宮跡地に建てられた市庁舎にある「皇帝の間(Kaisersaal)」です。皇帝の間は今も残っており、式典やコンサートなどが開かれています。

旧市庁舎
旧市庁舎

旧市庁舎やアーヘンの観光スポットについては、詳しくはこちらをお読みください。

アーヘン大聖堂の見どころ

カール大帝の金の棺

大聖堂の奥でひときわ目を引く、黄金に輝く棺。

これが、カール大帝の聖遺物箱(Karlsschrein)です。

814年に亡くなったカール大帝は、当初、古代ローマ時代の大理石の石棺に埋葬されました。

その約400年後の1215年、この黄金の棺に移され、現在もアーヘン大聖堂に安置されています。

ガラスの礼拝堂

大聖堂の奥に進むと、雰囲気がガラッと変わります。

そこには、1414年に完成したゴシック様式の聖歌隊席(Chorhalle)があります。

増え続ける巡礼者を受け入れるために増築されたもので、高さ約26mもの巨大なステンドグラスが壁を覆っています。

そのガラス面は、なんと1000㎡以上!

あまりの大きさから、「アーヘンのガラスの家」とも呼ばれています。

聖遺物と巡礼地アーヘン

カール大帝が集めた聖遺物

アーヘン大聖堂には、カール大帝の時代から伝わる4つの聖遺物があります。

「聖母マリアの衣」「幼子イエスの産着」「イエスが十字架にかけられた際の腰布」「洗礼者ヨハネの斬首の布」です。

これらを見るため、中世にはヨーロッパ各地から多くの巡礼者がアーヘンを訪れるようになりました。

そして1349年から始まったのが、7年に一度の聖遺物公開(Heiligtumsfahrt)です。この伝統は現在も続いており、7年に一度一般公開「聖遺物公開(Heiligtumsfahrt)」されます。

巡礼者から生まれたアーヘン名物

巡礼者と深い関係があるといわれているのが、アーヘン名物のプリンテンです。

長旅でも保存しやすいスパイスの効いた焼き菓子で、現在ではアーヘンを代表するお土産のひとつになっています。

いろいろな建築様式のパッチワーク大聖堂

アーヘン大聖堂を外から見ると、ちょっと不思議な形をしています。

それもそのはず。

カール大帝が建てた宮廷礼拝堂を中心に、1200年以上にわたって増築や改築が繰り返されてきたからです。

カロリング朝建築の八角形の礼拝堂、ゴシック様式の「ガラスの家」や周囲の礼拝堂、バロック様式のハンガリー礼拝堂、さらにネオゴシック様式の塔など、時代ごとの建築が加わり、現在の姿になりました。

まさに、1200年の歴史が詰まった「パッチワーク大聖堂」なのです。

アーヘン大聖堂の歴史や建築について、詳しくは「アーヘン大聖堂公式サイト」をご覧ください。

アーヘン大聖堂に残る悪魔伝説

アーヘンには古くから伝わる「悪魔伝説」があり、街中には悪魔をテーマにしたオブジェもいくつか見られます。その中でも特に有名な伝説が、アーヘン大聖堂に関する2つの物語です。

大聖堂の扉に残る「悪魔の指」

アーヘン大聖堂の建設中、資金不足に苦しんでいた市民たちは悪魔と契約を結びました。悪魔は大聖堂の建設を支援する代わりに、「最初に大聖堂に入る魂を自分のものにする」という条件を提示しました。

しかし、市民たちは悪魔を騙す策を練り、大聖堂に最初に入るのを「狼」に仕向けます。狼が大聖堂の扉を通り抜けた瞬間、悪魔は騙されたことに気づきます。怒り狂った悪魔は大聖堂の扉を激しく叩き、その際に親指を扉に残してしまったと伝えられています。

現在、大聖堂正面の扉周辺には「悪魔の親指」を表現したブロンズ製のオブジェが設置されており、この伝説を物語る象徴的な存在となっています。

悪魔と砂の山

市民たちが悪魔を騙して大聖堂の建設を完成させたことに激怒した悪魔は、復讐を企てます。北海から砂を袋に詰め込み、アーヘン全体を砂で埋め尽くそうと計画したのです。

悪魔がアーヘンに向かう途中、「ルース」という貧しい少女に出会います。悪魔がアーヘンまでの距離を尋ねると、少女は自分の服と靴を見せ、「アーヘンの市場で買ったばかりなのに、もうすり減ってしまった」と言いました。この言葉を信じた悪魔は、アーヘンはまだ遥か遠いと勘違いし、復讐を諦めてその場に砂袋を捨てて立ち去りました。

こうしてその砂袋は丘となり、地元では「ルースベルク」と呼ばれるようになりました。この賢い少女ルースの機転によってアーヘンは救われ、市民たちは「悪魔さえ欺くほど賢い」と称されるようになったのです。

現在、「ルースベルク」の丘の上には「悪魔と農婦のブロンズ像」があり、いつでも見学することができます。

ルースベルクについては、こちらをお読みください。

アーヘン大聖堂の見学情報

2026年現在

見学時間・料金

開館時間月曜~木曜
11:00~18:00
金曜・土曜
11:00~19:00(結婚式がある場合は13:00から)
日曜
13:00~17:45
入場料無料
注意事項特別な礼拝やイベントが行われる際は、変更あり
住所旧市街真ん中
Johannes-Paul-II.-Straße.
WEBアーヘン大聖堂公式サイト

公開ガイドツアー

開催時間月曜~金曜
11:00~17:00
土曜
13:00~17:00
日曜
13:00~17:00
料金大人:7€、子供:5€
言語ドイツ語、英語
所要時間45分
予約不要・当日10時からチケット購入可

子供向けの大聖堂ツアーもあります!
子供がガイドを務める楽しいプログラムで、開催日は月によって異なります。参加する場合は事前にカレンダーをご確認ください。

まとめ

1978年に、ドイツで初めてユネスコ世界遺産に登録されたアーヘン大聖堂。

1200年以上前、カール大帝が建てた宮廷礼拝堂から始まり、その後、王の戴冠式が行われ、巡礼者が集まる場所となりました。

そして、時代ごとに礼拝堂や聖歌隊席、塔などが増築され、現在の姿になりました。

アーヘン大聖堂の7つの魅力

①ドイツ初の世界遺産
1978年、ドイツで最初のユネスコ世界遺産に登録されました。

②カール大帝が眠る場所
黄金に輝く「カール大帝の聖遺物箱」が安置されています。

③約600年続いた王の戴冠式
936年から1531年まで、30人の王と12人の王妃がここで戴冠しました。

④1200年以上前のオクタゴン
カール大帝が建てた宮廷礼拝堂の中心部分が、現在も残っています。

⑤歴代の王が座った王座
936年のオットー1世以降、王の戴冠と深く結びついた大理石の王座が残っています。

⑥7年に一度公開される聖遺物
中世から多くの巡礼者を集めてきた4つの聖遺物が保管されています。

⑦1200年のパッチワーク建築
カロリング朝のオクタゴンに、ゴシック様式の聖歌隊席や礼拝堂などが加わりました。

文:レンガ

ドイツ最西端の街、アーヘンでのお部屋探しや生活立ち上げにお困りの方は、現地在住の日本人スタッフがサポートします。お気軽にお問い合わせください。

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